その神社は誰がなんの為に建立したのか?という視点
こんにちは。島津久崇です。
今日は終戦記念日ですね。靖国問題が毎年議論される日になってしまっています。
今日は「その神社は誰がなんの為に建立したのか?という視点」というタイトルで書かせていただきます。
そもそも神社とは、どのようにして建立されるようになったのでしょうか。
まず、最古の神社について触れておきたいと思います。
大神神社は、日本最古の神社と言われております。
もともと、お祭の際に祭壇を用意して大物主大神を祀っていたそうです。
今でも本殿は存在せず、拝殿のみ建立されたようです。
ここは誰がなんの為に作ったのか?
話は古事記に遡ります。
大国主神が国造をされる際に、目の前に大物主大神が現れたと記されています。
国造を成就する為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と指示したことで建立された、とされています。
簡単に言えば「国造を成就させる為に私を祀るように」ということですね。
そのようにして、三輪山で大物主大神を祀るようになったそうです。
次に、本日は終戦記念日ということで靖国神社を紐解いてみたいと思います。
靖国神社はなんの為に建立された?
靖国神社は、国家の為に殉死した御霊を慰める為に建立されました。
明治維新後、政治的な混乱も重なって情勢が不安定だった所に長州藩出身で軍最高幹部、兵部大輔大山益次郎へ、ある相談が行きます。
それは、富国強兵・軍備増強に当たって戦没者を祀る場所を作る、というものです。
この必要性について、大村益次郎も同意でした。
また、当時旧駿州赤心隊と旧幕府軍が同じ地域に居たことで治安が崩れていた部分もあり、旧駿州赤心隊のメンバーを受け入れる場所を設ける必要性もあったそうです。
そういったことも相まって、東京招魂社を建立することになります。
ここを守るのは、旧駿州赤心隊の神官達です。
そうして、東京招魂社(後の靖国神社)が出来ます。
祀られたのは、坂本龍馬・吉田松陰・橋本左内・高杉晋作などの維新殉難者(長州が多いですね)という方々他、日清日露戦争などの戦争殉死者も含めて祀られるようになりました。
これが今に至ります。
その後、A級戦犯の話や政教分離の話がややこしく絡み合ってくるのですが、それはまたの機会に。
では、ご覧いただきありがとうございました。