薩摩の食で世界を目指す
先日、後輩から就活相談を受けた。
企業選びに困っているようだ。
私自身、とても悩んだ記憶がある。
私は就活時代、神主であることを隠さずに活動していた。
神主として年末年始や、当時は島津義弘公没後400年祭なども控えていたので身動きの取れやすさはとても大事な要素だった。
大学3年の頃からインターンを受け始め、様々な企業をまわった。
恩師から、営業を経験したほうが良いのではないかというススメもあり、営業職で探した。
また、独自に神社を今後盛り立てなければならないと考えていたことから広告・PR業界も見た。
結果的には、高校時代に同級生をある大企業にテレアポして入社ルートを作った経験から人材業に入った。
ここに入って、社会人としての基礎力をかなり叩き込まれた。
事業部長の隣に座らされ、高頻度で詰められたが、そのおかげで思考して仕事をするようになった。
歯ぎしりするようになるくらい精神的には負担があったが、これは今にも活きる能力であり、当時の上司や事業部長にはとても感謝している。
しかし、この仕事を人生を賭して続けたいとは思えなかった。
修業場としては良かったのだが、それ以上は無かったのだ。
そこから考えるようになる。
「自分が人生を賭して遺したいものは何なのか」
「何をして死ぬか」
究極的に仕事を探す問いは、これではないか、と最近は考えている。
私の場合、究極的な使命は加治木島津家を次に繋げることだ。
では、島津久崇としてやり遂げたいことは何なのか。
私が最近考えているのは鹿児島尽くしのフルコースを遺したいと考えている。
鹿児島には有名な福山酢がある。
実は出来てここ200年ほどのものだ。
焼酎も味が変わってきている。
洋食にもあうような焼酎が出てきているのだ。
また、先日の記事で紹介した通りお茶・紅茶もある。
これを組んでいくコースを組んでみたいと思っている。
島津久崇の考える、鹿児島の食を堪能できるコースだ。
最近は鹿児島へ帰って、食事をする時いつも考える。
切子はワインや焼酎のソーダ割を提供する、盛り付けは肉料理なら白薩摩が映えるだろうか、などだ。
重豪公や斉彬公も同じことを考えていたかもしれない。
鹿児島の食は、一つの鹿児島ブランドになりうる。
それは、多くの農家のたゆまぬ努力と、継承を受けているからだ。
それを最大限発信できていないのがずっと悔やまれる。
鹿児島黒牛は全国和牛能力共進会において日本一を取っている。
しかしながら、バイヤーへの認知はそこまで高くなく、消費者に至ってはまったく認知されていない。
そういった状況を改善するためにも、コースを作る必要性を感じている。
独立ではなく、薩摩として世界をかける。
今も昔も目指すものは変わらないのだ。
こういったことを、考えながら生きている。