神社が民営化した話
こんにちは。島津久崇です。
今日も昨日に続いて神社ネタ、神社民営化のお話。
皆さんは神主が公務員だったってご存知ですか??
神祇官という役職になっていました。
神祇官:朝廷祭祀を司る人(朝廷のお祭を仕切っていた人)
律令制が敷かれていた頃は太政官より上位に位置していた役職でもあります。
(今でいうと、政治家より上です。でも別の見方では逆転します。)
政治の役職になっていた以上、民間組織ではなかったんですね。
どこで流れが変わってしまったのでしょうか。
明治維新以降、明治政府は国家神道という全員が所属する概念を作ります。
神宮を総本山とし、内務省管轄でこの施策は進みました。
なぜ、概念と表記したのか。これにも理由があります。
当時、明治政府が発表した大日本帝国憲法には信教の自由が謳われていました。
そこに、全員強制適用の宗教を作っては矛盾することになります。
そこで、国家神道という全員強制参加の仕組みを作る事になりました。
なぜ、このような事をしなければならなかったのでしょうか。
原因は、幕府という仕組みにあります。
幕府が出来てから、天皇家は武士の影に追いやられていました。
天皇陛下の地位がかつてより下がっていたことは想像に難くありません。
また、他の宗教の教義に当てると天皇陛下のお立場が分からなくなることも想定されました。
そこで、祭政一致とする考え方から日本のトップは天皇陛下であるという事を示す意図もあり、国家神道が成り立つ事になります。
その後、国家神道を浸透させるために教育勅語や国民道徳教育に落とし込まれ普及します。
個人的には、教育勅語は今こそ復活させた方が良いものだと思っています。
両親に孝行し、兄弟仲良く、夫婦は仲睦まじく、友達とは信じ合う。
その後も続きますが、詳しくはこれを見てください。
その後、GHQが改革を指導しますね。
その政策の中で、神社界を揺るがす発令が起こります。
これが今回の「その時歴史が動いた」部分です。
それは...
神道指令です。
これにより、神道は国家機関と切り分ける運命を辿ります。
民間へ移行するように言われたわけです、いきなり。
これは当然慌てふためくわけですよね。
以上のことから、神社は民間へ移行することになりました。
GHQおそるべし。
民間に移行して、何が問題になったのかなどは、リクエストがあれば書きたいと思います。
と言う事で、本日はここまでにしたいと思います。