HISATAKA SHIMADZU ism

歴史、事業、その他

神社と家を継ぐ運命を背負いながら ミュージシャンへの道を歩む(ガクセンから転載)

 ご覧いただきありがとうございます。

 今回はガクセンからの転載になります。

 ぜひご覧ください。

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薩摩武士の嗜みを嗜む

郷中教育は、薩摩に古くから伝わる独自の教育システムです。その教えには、野太刀自顕流(のだちじげんりゅう)と呼ばれる古武道、土地伝来の幻の縦笛・天吹(てんぷく)や薩摩琵琶などの楽器の稽古も含まれています。鹿児島で生まれた私は、この教育を幼い頃から受けて来、気が付くとそれが私の強固なバックボーンになっていました。絶やしたくない誇り高き文化だから自分でも演奏し、事あるごとにその歴史などを伝える活動もしています。
「いにしへの道を聞きても唱へても 我が行ひにせずば かひなし」。地元が産んだ名武将・島津忠良公が作った日新公いろは歌の最初のこの句は、私の座右の銘。「実行することの大切さ」を説いています。私のあらゆる行動は、その句によって背中を押された結果です。

自分の礎になった野球部創部という大仕事

中学時代、野球部を創部したのも、その座右の銘に準じた結果に違いありません。私が野球を始めたのは、中学2年生の秋でした。この中途半端な時期には、訳があります。学校に野球部がなかったからです。
WBCで優勝を決めた松坂大輔を観た小学生の私は、野球に憧れるようになりました。中学生になったら始めたいと考えていましたが、入学してみると部自体がありませんでした。私と同じように、野球をやりたい生徒が周囲に何人かいたので、「ならば一緒に作ろう」と呼びかけて創部。流れで初代部長になった私は、皆を引っ張り、中学体育連盟が主催する夏の大会出場を果たします。中学最初で最後の大会は初戦敗退でしたが、部員のほとんどが初心者だったにもかかわらず、大会に出られた事が私は満足でした。
高校にも野球部がなかったので、皆で嘆願書を出して創部に漕ぎ着けます。ところが、最初の公式戦の後、野球部のあり方に疑問を呈した部員が続出。12人いたメンバーは3人まで減り、結局1年生の後半から3年生になるまで、少ない人数で過ごす事になりました。ただ、高校最後の試合だけは、新たに入部した1年生とバレー部から助っ人を呼び、なんとか出場。夢だった甲子園には遠く及びませんでしたが、やり切った満足感を私は噛み締めました。
中学でも高校でも、部の成長と共にメンバーの技術が上がっていったのは確かでした。私はそれがなにより嬉しかった。加えて、私自身も、消極的な自分から積極的に動く人間へと成長できた。私の行動が今エネルギッシュなのは、中学時代の野球部創部の経験が糧になっているのは明白です。結果を考えず、とにかくまずスタートを切って頑張れる力を私は身につけています。それは、鹿児島の郷中教育の教えにも通じる生き方です。

ギターをとことん極めたい気持ち

進学先に選んだのは、東京薬科大学生命科学部でした。私は、研究室での実験に打ち込みます。ところがしばらくすると、「自分のやりたいことは本当にこれなのか」という疑問が湧いてしまいます。私は悩みました。
その頃たまたま、新宿の楽器屋で安い中古ギターに目が止まります。ジャズやブルースの大御所も使っていたセミアコに私は一目惚れしました。この単なる一目惚れが、私の人生を大きく変えていくことになるのです。
ギターを手にした私は翌日、大学のジャズ研に入部。以降、ライブに出場したりセッションに参加したりと、私はジャズギターにどっぷりはまっていきます。その頃には、勉強に身が入らなくなっていました。もっとギターを極めたい。その想いと学業の間で私は揺れました。悩んだ末、私は実験が忙しい大学を去る決意を固めます。3年生から4年生に上がる段階で編入試験を受け、帝京大学に2年次編入。ジャズを、そしてギターを突き詰める道を私は選んだのです。以来私のギターに対する熱が冷めることはまったくありません。
ジャズは自由な音楽です。そんな音楽に惹かれたのは、もしかすると、あらゆるものに縛られている自分と、真逆にある世界だからかもしれません。


「三足の草鞋を履く」という生き方

まだ、仕事に関して勉強不足が否めない私ですが、コンサルタントという職業には、大いに興味を持っています。さまざまな業種の仕事や内情を含めたノウハウを手に入れるのに適しているし、自分を追い込んで仕事ができる印象があるからです。私が思い描く「神社を継ぐ前に、あらゆる世界を見て学ぶ」という願いも叶えられそうです。職種は、企画立案など、新しいものを作るセクションを希望しています。野球部がそうであったように、0から1を生み出すことに、私は無類の喜びを感じるからです。
現在、神社の世界は転換期を迎えています。新たな神職の働き方を模索しなければ、神様の宿る神社も消え、同時にその地域の日本人としての文化も消えてしまいます。私には、先祖を祀る神社を守る使命があります。その為に、20年ぐらいは社会に揉まれたいと思っています。自分が神職を継ぐ上で必要だと思うスキルをしっかりと仕事をしながら体得し、楽器の練習も続け、琵琶、天吹も演奏する神主かつビジネスマンかつミュージシャンになれたなら、私なりの神職として生きる理想の姿に近づいたと言えるでしょう。
神職は、世の為人の為に奉仕し、国の隆昌と世界の共存共生を祈る事が仕事です。他方、薩摩琵琶弾奏者は数百年も前から琵琶歌で平和を訴えています。ジャズは、他国の文化との交流のツールです。
私の最終目的地は、祈り、訴え、交流すること。そこに至った時、伝統を守りながら新しい形の神社も作れるに違いありません。